先月から今月にかけてBSプレミアムで放送されたアガサ・クリスティの同名小説をドラマ化した「そして誰もいなくなった」(2015・英)についての感想です。
ネタバレ注意! 第一回(11/27)
それぞれ面識のない8人の人物が、様々な事情で兵隊島と呼ばれる孤島へやってくる。
屋敷には彼らを招いた筈のオーエン夫妻はおらず、召使のロジャーズ夫妻がいるだけ。
最初の晩餐の後、レコードに吹き込まれた声が、召使夫婦を含めた10人に対する過去の罪業を指摘する。
そして、トニーと言う若者が、酒を飲んでいて突然死に、翌朝にはロジャーズ夫人が薬物によって死んでいた。屋敷のあちこちに飾られたマザーグースの歌詞の通りに……。
ストーリーがびっくりするくらい原作に忠実で好感が持てた。ロケ地のビジュアルや、キャラクター設定やキャストイメージもだいたい満足の行くレベル。日本語吹き替えも昨今のドラマでは上等の部類だろう。
不満もある。
まず、最初のディナーでの必要もない会話を長々と続けておきながら、「告発」後のトニーの死についてサラッと流しているところ。あんなことがあった直後に、死にそうにもなかった若者がいきなり死んだら、みんなもっと驚いてあれこれとその原因を考えるのが普通だと思うが、特にそう言う流れにはならず、さっさと寝ちゃうのはどう考えても変である。
それと、ロジャーズ夫妻の犯罪については原作と異なり、老主人の顔に枕を押し当てて窒息死させると言う直接的な方法に変えられていたが、この物語の趣旨は「法律では裁けない犯罪を罰する」と言うものなのだから、この改変はちょっとまずいのではないかと思う。これでは単に巧妙な殺人に過ぎなくなる。
ちなみにドラマでは、島の名前が兵隊島に変えられ、マザーグースも「兵隊が~」に変えられていたが、無論、原作の黒人の蔑称(イギリス版)、アメリカ原住民の蔑称(アメリカ版)では差し障りがあるからだろうが、これもマザーグースの醸し出す不気味な雰囲気と言う点ではいまひとつである。
第二回(12/4)
引き続き、孤島に取り残された8人が、姿なき殺人者に脅かされる姿が描かれる。
原作に沿って、マッカーサー将軍、ロジャーズ、ブレント夫人の順で殺される。
同時に、屋敷の主人・オーエンなる人物など存在せず、10人が10人とも、モリスと言ういかがわしい男の斡旋、あるいは巧妙なニセ手紙によってこの島に集められたことが判明する。
そして、殺人者が自分たちの中のひとりだと言うことも……。
相変わらず、必要以上に醜くいがみ合う登場人物たち。正直、見ていて不快になるだけで、あまり意味のない演出だと思うが……。
また、ロジャーズの死体が発見された際、原作ではヴェラが狂乱状態になったのをアームストロング(郷田ほづみさん

)がビンタして正気に返していたのが、ドラマではそれが逆になっているのが、いかにも現代的なアレンジで面白かった。しかし、さすがに若い女性がいきなり中年男性の顔を思いっきりしばくと言うのは、不自然だ。
不満なのは、それぞれの殺人についての、各人のアリバイや犯行の可能性についてウォーグレイヴを中心に検討する、ミステリーとして重要なシーンがまるごと省略されていること。
一方で、それぞれの部屋にピストルがないか調べる為に、部屋の住人が裸になって、他のものが部屋を引っ掻き回すというどうでもいいようなシーンなんかは時間をかけて描いているのが解せない。
それと、マッカーサーの過去の殺人も、原作では妻と不倫していた腐れ外道兵士をわざと危険な場所へ偵察へやって死に至らしめていたのが、後ろを向いた瞬間に後頭部をピストルで撃ち抜くと言う知性のかけらもない方法に改竄されていたのも引っ掛かった。
あれじゃ、法に裁かれない犯罪どころじゃない、何処に出しても恥ずかしくない殺人罪である。
同様に、ブロアも、原作では他の者と共謀して偽証し、ランダーを獄中死に追いやっていたのが、取調室で、直接ランダーを撲殺するというめちゃくちゃなものに変えられていたなぁ。
脚本書いた人は、原作の意図をちゃんと理解しているのだろうかとやや不安になる。
第三回(12/11)
引き続き、残された人々の猜疑心と恐怖がぶつかりあい、醜いいさかいが繰り広げられる。
原作では、終盤になってもみんなそれほど本性むき出しにはならなかったので、どうもこの辺のサスペンスドラマとしては常套的な演出が目障りでしょうがない。
で、ウォーグレイヴが射殺死体となって発見され、残るは4人。
続いてアームストロングが姿を消し、ヴェラたちは彼が犯人なのではないかと考える。
今回、最初から見ていて気になったのは、結末が原作どおりか、戯曲版か、と言うことであった。
原作ではほんとに全員死んでしまうのだが、クリスティが舞台用に書き直したものでは、ヴェラとロンバートだけが生き残って結ばれると言うハッピーエンドになっていたみたいで、ルネ・クレール監督の劇場版も、確かそっちが採られていたと思う。
ミステリーとしては勿論原作のままの方が面白いのだが、いささか後味が悪いので、ハッピーエンド版もあるかなぁと思っていたが、クライマックスの前に、ヴェラが自分がシリルを死に追いやったことを回想シーンの中で認めているので、原作どおりに行くんだろうなぁとは察しがついた。
で、今回のドラマではほんとに原作に忠実に進行し、ブロアが死に、ついでアームストロングの死体が岩場で発見された為、ヴェラとロンバートが互いを犯人だと思い込み、ヴェラがピストルでロンバートを殺す。
ここでも、ロンバートを撃ち殺したあとで、ヴェラが女子プロレスラーみたいに「よっしゃ!」と、雄叫びを上げる演出にちょっと「?」となった。しかもドラマでは、ヴェラとロンバートは一度体を重ねた間柄なんだから、雄叫びはないだろう……と。
そしてひとり残ったヴェラは、自分の罪を清算する為、部屋に戻って首を吊る……
このまま原作どおり、警察の捜査の結果、そして真犯人による告白……で終わらせた方が絶対良かったと思うのだが、ドラマでは、なんと、首吊りの途中に死んだ筈のウォーグレイヴが
のこのこと入ってきちゃうのである!
さすがにこのにラストには唖然とした。
そして、引き続き首吊り中のヴェラに向かって、ウォーグレイヴが自分のサディスト的な性格とかを話し、アームストロングと共謀して自分も殺されたように装ったことなどを得々と披露するのであった。
おまけに最後はヴェラが立っていた椅子を蹴飛ばし、ほんとに首吊りさせちゃうと言う、めちゃくちゃ悪趣味なことをやっている。ある意味、凄いラストなんだけど、さすがにこれはやり過ぎ。
それに、あの描き方ではウォーグレイヴがまるっきりただのサイコ野郎にしか見えず、これでは、わざわざ罪人を集めて処刑する理由が希薄になってしまう。原作では、ウォーグレイヴの殺人に対する興味も描きつつ、あくまで「法律で罰せられない罪人をこの手で裁く」と言う、一種の正義感から発した殺人計画になってるんだからね。
なにより、肝心の細かな殺害方法などについてほとんど省略されていたのがミステリーとしては非常に物足りない。まぁ、途中、ヴェラがシリルの幽霊をありありと見たり、ミステリーと言うよりはサスペンス、サスペンスと言うよりはホラーと言う演出が際立っていたから、謎解きがなおざりにされるのも当然かもしれない。
しかし、それ以外の点では原作にとても忠実だったことも事実である。それを、
「最後で台無し」にしてしまうのは、同時期に放送された「獄門島」に合い通じるものがあるのだが、何を隠そう、横溝正史が「獄門島」を書くきっかけとなったのが、この「誰も~」の原作だったのである。
正史は自身のエッセイの中で、昭和21年に原書で「誰も~」を読み、マザーグース殺人を俳句殺人にアレンジして「獄門島」に使っていることを記している。勿論、ストーリーやトリックは全然違うんだけどね。
そう言えば、ウォーグレイヴの善意の(?)協力者、モリスのその後についてはドラマでは一切触れられてなかったなぁ。原作では実は10人目の犯罪者はモリスのことで、彼はウォーグレイヴが胃薬と偽って渡した毒薬で殺されてるんだよね。
ついでに言えば、その殺害トリックは、正史の「蝶々殺人事件」で借用されている。
……話がそれてしまったが、総括すると、なかなか良く出来たドラマだったと思う。ミステリーの醍醐味が味わえるとはちょっと言えないけど、ここまで原作に忠実だとは全然予想してなかったので、それなりに楽しめた。
なお、原作はとても面白いミステリーなので未読の方には是非一読することをお勧めする。